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平賀源内はうなぎだけじゃない!エレキテルを発明した江戸の大天才だった [一般]

2015年の夏の「土用の丑の日」は、

7月24日8月5日です。



この「土用の丑の日」には、うなぎを食べる習慣がありますが・・・

始まりは、平賀源内による発案からだったと言われていますね。



★関連記事 ⇒ 2015年7月の土用の丑の日はいつ?実は年に4回以上もあった!



ところで、平賀源内とは、いったいどんな人なのでしょうか?



実は、うなぎだけじゃない!

エレキテルを発明した、江戸の大天才なんですよ!



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平賀源内が発案した「土用の丑の日」とは




「土用の丑の日」の始まりは、江戸時代、うなぎ屋がうなぎが

売れないで困っていることを、平賀源内に相談したのがキッカケです。



夏はうなぎの旬の時期から外れていますし、

味が濃くてコッテリしているから、

みんな食べたいとは思わなかったのでしょう。


うなぎ.jpg


そこで平賀源内が、「本日土用の丑の日」と書いた看板を

店の前に掲げました。



するとこれが大ヒット!



聞き慣れない言葉が書かれてある看板が気になって、

足を止める人をうなぎ屋の主人が店に引き入れます。



そして、平賀源内直伝の宣伝文句を使って、

このうなぎ屋は大繁盛!



他のうなぎ屋もこれを真似をして、以来、

「土用の丑の日にはうなぎを食べる」という

面白い風習が誕生したのでした。





江戸の大天才!平賀源内はエレキテルを発明していた




“日本のダ・ヴィンチ”とも言われている平賀源内は、

江戸の大天才です。



もの凄いマルチ人間だったんですよ!



博物学者・科学者・電気学者・本草学者・蘭学者・鉱山家・陶芸家・

作家・戯作家・アーティスト・プロデューサー・起業家.etc・・・



そして、発明家でもあるんです。



その肩書を挙げたら、いくつあるのか分かりません!



彼は、時代の先駆者だったんですね。



享保13(1728)年、高松藩足軽の家の三男として生まれた、平賀源内。

本名を国倫(くにとも)といいます。



24歳の時に藩命で長崎に留学して、本草学者・蘭学者として名を成しました。

その後、藩における薬坊主格となっています。



ところが、好奇心旺盛で自由な生き方を望んだ平賀源内は、

33歳で脱藩。



波乱万丈の人生を送って、51歳でその生涯を閉じます。


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発明家としての平賀源内の一番有名なのは、

やはりエレキテルでしょう。



「ダメよ~ダメダメ!」のエレキテル連合とは、違いますよ!



エレキテルとは、平賀源内が復元した摩擦起電器(静電気発生装置)のことです。



元来、エレキテルはヨーロッパで発明されたものです。

宮廷での見世物や、電気治療の医療器具として利用されていたようですね。



平賀源内が、そのエレキテルの復元に成功したのが

明和2(1765)年のことでした。



エレキテルは、見た目は四角い箱ですが、

摩擦を利用してバチッと火花を起こす機械なんですよ。



その後、平賀源内はエレキテルの実演を行い始め、

新し物好きの大名や豪商から、高額な見せ物料金を

徴収していたと言います。



本当に、頭がいいんですね。



その他、日本初の万歩計や、ヨーロッパ製の歩数計を改良して、

「量程器」というものも作ったんだとか。



日本初・・・とは言えば、日本初の全国物産博覧会を開催したのも、

平賀源内だと言われています。



薬品や薬草の博覧会「東都薬品会」というイベントの

仕掛け人となったんですね。



ここでは、本草学者としての本領が発揮されました。



平賀源内が描いた「西洋婦人図」は、日本で初めての西洋画です。

芸術面でも長けていたというわけですね。



今で言うベストセラー小説「風流志道軒」や、

人気戯作「神霊矢口渡」の作者でもあります。



うーん・・・

挙げ出したら、本当にキリがないですね。(汗!)



また「土用の丑の日」で、うなぎ屋が大繁盛!の一件から

分かるように、平賀源内は日本人初のコピーライターでもありました。



当時、「漱石香」という歯磨き粉の口上を書いてほしいという依頼が来て、

「トザイトウザイとはじまって、私は商いの損が続いていて困っていて、

 何ぞ元手のいらぬ商売はないかと考えて、この歯磨き粉を売ることとなった。

 第一に歯を白くし、口中をさわやかにし、悪いにおいをとり、などといろいろいうが、

 きくきかぬは夢中にて一向存ぜず、たかが歯磨き粉なればきかずとも害にはなりますまい。

 お引き立ての程隅から隅までどうぞよろしく」


という宣伝文句を考えています。



この歯磨き粉が、効くか効かないかは知らないよーん!

そんな悪ふざけとも言えるような、面白いキャッチコピーですね。



本当に、多芸多才な素晴らしい人物でしたが、

平賀源内の最期は、かなり悲惨なものでした。



その才能ゆえに、当時の社会には受け入れられず・・・

キワモノ扱いされてしまったんですね。



晩年は、誤って人を殺害してしまい、投獄されて、

病気で獄死しています。

(破傷風だったとか?)



今、この現代に平賀源内が生まれていたら・・・

日本に、どんな光を灯してくれたのでしょうか?



以上、

「平賀源内はうなぎだけじゃない!エレキテルを発明した江戸の大天才だった」

という話題をお届けしました。



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